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イースター島にある謎の顔面巨石像・モアイ像。

一時、世を一世風靡したその姿は、今も見る人に多大なインパクトを与える!!

彼らはなぜ、この何も無い島・イースターに作られたのか?

なぜ、顔面だけなのか?

なぜこの島は森や林もなく、モアイばかりがそこら中にあったのか?

20世紀から続くモアイのミステリーは今なお、世界の謎のままなのだ!!



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日本から遠く離れたイースター島。

チリの首都であるサンティアゴから西へ3,700km、タヒチから東へ4,000kmほどの太平洋上に浮かび、周りは完全に海に囲まれた絶海の孤島である。

 
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このイースター島は現地の言葉でラパ・ヌイ(広い大地)と呼ばれている。

全周が60kmほどで、面積は180平方kmであり、
北海道利尻島
とほぼ同じ大きさであるという。
そしてこの小さな島に大いなる謎を持つあの有名なモアイ像が存在するのだ。


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島にあちこちに点在し建てられた顔面巨石・モアイ像。

特に海岸付近によく建てられたらしい。

平均的な大きさで3・5メートル、重さ20トンもある。大きいものになれば、20メートル、90トンのものもあるという。

そしてこのモアイ像の数はおよそ1000体!誰が何のために、これらは作られたのか今なお、仮説の域をでない20世紀から続くミステリーなのだ!! 


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ミステリー1 モアイの材料と海岸までの移動

・モアイの材料

モアイの材料となった石材は凝灰岩であり、採石の中心は「ラノ・ララク」と呼ばれる直径約550mの噴火口跡(いわゆる岩山)で、現在でも完成前のあらゆる段階のモアイが散乱し、彫る道具とともに残されているという。

・どのように運んだのか?仮説1

この「ラノ・ララク」石を切り出し、その場で石を細工し、モアイのカタチにしてから、木のソリにモアイを横倒しに乗せ、海岸まで運んだ後、アフと呼ばれるコレまた石で作った祭壇の上に縄で引っ張って乗せたという。
その際、使われたロープというのはヤシやシュロの木の繊維で作ったものだという、よくジャングル映画にある、ツタのようなものだろう。

・どのように運んだのか?仮説2 モアイは自ら歩いて山から海岸まで行った!?

実は現地の言い伝えに「モアイは自分で歩き、海岸までいった」という伝承がある。
長らく、ただの伝説だと思われていたが、その方法が発見されたという。


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 3本のロープをモアイの頭につけ、引っ張って歩かせる実験が行われた。

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ズリ・・ズリ・・・伝説どおりに歩くことに成功!!

これで、モアイミステリーの一つが解けたように思われたが・・・・

これはあくまで、10tクラスのモアイに限られる方法だそうで、最大90tもあるモアイ像を歩かせることは出来ていない。

さらにモアイを切り出す岩山から海岸まで、6〜8キロほでの距離があり、また100メートルほどの崖も存在するという。

加えて、超重量級・モアイを引っぱり上げるロープ(自然繊維の綱)などこの絶海の孤島でどのように作るのかも問題であるという。

モアイがどのように海岸まで運ばれたのか、まだミステリーのままなのだ・・・。


ミステリー2 なぜ、モアイは作られたのか?

村や集落の守り神として作られた、あるいは当時の人の墓地なのだ、など諸説さまざまあるようだが、現在に至まで解明されていない。

唯一の手がかりは、島民が使ったと言う「ロンゴロンゴ文字」と言う絵文字である。
文字が刻まれた板や石が、当時は多数存在したと言うが、後に流入したヨーロッパ宣教師たちにより「悪魔の文字」とされ、次々に焼かれたり、破壊されてしまったらしい。

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          ロンゴロンゴ文字

現在24枚程度、文字を記した板や石が残っているが、解読もほとんど進んでいないと言う。
というのも、島民はヨーロッパ人の侵略を受け、奴隷として死んだり、天然痘で絶滅の域にまで人口を減らし、文字を読める人が存在しなくなってしまったのだ。


ミステリー3 神秘の力・マナが宿るモアイの目

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モアイには目がはめ込まれていた事がわかっており、復元されたモアイには目がはめ込まれた物も多数存在する。目の材質はサンゴ質の石灰岩であることが判明している。
そして、その目には神秘の力・マナ(霊力)が宿るされている。

だが、イースター島近海にサンゴ礁など無いのである。いったいイースター島民はどのようにしてサンゴを手にいれたのか?
という新たな謎が生まれた。他の海域との交易が無ければ、サンゴ質の石灰岩をイースター島にて入手する事ができないからである。

しかし、このイースター島は絶海の孤島、周りは海に囲まれ、島原住民以外は人など存在しない。
これも解明されない大いなるミステリーである。

ミステリー4 モアイは男?女?

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そんなの見れば分かる、男だろうと思うが、よく見て欲しい、顔以外の部分は割と適当で、体がほとんどないモアイもあるのだ、実際にはどちらの性別かはわからない。

謎の解明のきっかけはモアイの帽子だ。
モアイには帽子をかぶったような形の物も発見されている。これは当初地位をあらわす帽子か、女性の髪形を復元した物とされていたが、その後は男性の結髪を再現した物である事が明らかにされたという。

これにより、「モアイは男性像である」という説が確立された。

ミステリー5 モアイの帽子

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モアイがかぶっているこの帽子、現地の言葉で「プカオ」(髪飾り)と呼ばれている。
この帽子が何が謎かといわれると、この帽子はモアイとくっついているワケではなく、頭に乗せているだけなのだ。
しかも、この帽子の重さは数トンもあるので、どのようにモアイの頭に乗せたのか?また、この石の赤色は色を塗ったわけじゃなく、石本来の色であり、モアイとは別の採掘場で切り出されたことも分かっていて、どのように当時の人々は石を運んだのかも謎であった。

現在では、帽子は
赤い軽石に似た火山岩「スコリア」というもので、石切場から木の丸太などを石の下にしいて転がしながら運んだことが分かっている。
石の祭壇跡や運搬路から70個以上の帽子を発見し、路肩の帽子は、運搬中に放置されたと見られる、というのが根拠である。

しかし、一個数トンもある赤い石をどうやって、巨大なモアイ像の頭頂に、をのせたのかは、まだ謎につつまれている。

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ミステリー6 モアイ像の種類

イースター島の島民は7世紀8世紀頃に、プラットホーム状に作られた石の祭壇(アフ)作りが始まり、遅くとも10世紀頃にはモアイも作られるようになったとされる。
その後、約800年間、モアイはつくられ続けた。

モアイはその時代によってデザインが違い、

第1期のモアイは人の姿に近いもので下半身も作られている。

第2期のモアイは、下半身がなく細長い手をお腹の辺りで組んでいる。

第3期のモアイは、頭上に帽子を乗せてある。

第4期のモアイが、いわゆる一般にモアイといって想像する形(全体的に長い顔、狭い額、長い鼻、くぼんだ眼窩、伸びた耳、尖った顎、一文字の口など)になる。

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だから、帽子をかぶったモアイなど見ると「なんかいつものモアイと印象が違うなぁ」となるのである。

ミステリー7 なぜイースター島は終焉したのか?

1700年代、ヨーロッパ人が到達したときにイースター島の島民は600人ほど暮らし生活は
石器時代と殆ど変わらないものであったという。

最盛期には1万5000人〜3万人は島に暮らしていたという。

平和な島はなぜ、崩壊したのか?

当時のイースター島は世界でも有数の巨大椰子が生い茂る、亜熱帯性雨林の島であった。

初期の頃は外からの脅威もなく、安定して人口が増えていった。そのため増加した人口を満たすために、カヌーの製造や農耕の開墾、モアイ像の製造のために、森林は伐採され、そのため表土が流れ出し、カヌー製造用の木材にも事欠くようになる。

森林伐採の影響で土地は痩せ、大規模な飢饉が発生した。そのため、肥沃な大地を求め部族間の争いがおこり、その戦争でモアイ像が次々と引き倒されていった。

その際、守り神のモアイとモアイの目はマナ(霊力)が宿るとされ、真っ先に破壊され、像はうつぶせに倒された。モアイ戦争は
50年ほどつづいたという。

当時のイースター島は人口爆発とそれに伴う食糧危機、環境の破壊、それによる文明の衰退が起きた。

その後、ヨーロッパ人によって島は侵略され、文化は破壊され、奴隷として連れて行かれたり、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病(天然痘)などにより、島民の数はさらに減ることになったのである。(最終的には111人にまで減少)

こうして、モアイとイースター島は終焉を迎えたという。


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島でおきた 戦争と環境破壊・・・モアイ像は悲しみを見つめる巨大石像であったのか・・・。

戦争と環境破壊による終焉はイースター島に限った事ではない。現代世界の縮図とも言える。

島とモアイを巡る謎は現在も大いなる21世紀の謎であるが、「イースター島がどうすれば、崩壊せず平和のままでいられたのか」という謎も私達になげかけられた大いなるミステリーでもあると言えよう。